山菜料理 出羽屋

島の窓から苔を想う

島の窓から苔を想う

2026.07.06

私の指先から肘の長さより、少し長いくらいの縦横。

その小さな観音開きの窓から、外の世界を眺めている。

今日は長らく続いた梅雨空が晴れて、テトラポッドの向こうに空の青と海の青が広がり、小窓に切り取られている。

まだ夏の前の、淡い青。

その青の左端から、白い帆の舟がゆっくり――いや、結構な速度で視界を横切っていった。

どうやら今日は、南西の風が強いらしい。

「あ、鳥が飛んだ。あれはカモメか。いや、海鵜か」

そろそろ見慣れてきた景色なのに、いまだに頭の中の私の声は饒舌だ。

そうして私は、この窓の向こうに見える街から、バスと、地下鉄と、飛行機と、新幹線と、車を乗り継いだ先にある「山菜料理・出羽屋」の、非常に私的な好物に思いを馳せる。

その好物は、苔である。

出羽屋で苔を「食べて」以来、好物を聞かれると「苔」と答えるようになってしまい、社会生活が危ぶまれている。

そもそも苔は私にとって、愛でるものではあっても、食べるものではなかった。

もしこの先の人生で食べることがあったとしても、それは何か切羽詰まった非日常の場面であって、少なくとも自ら進んで何度も口に運ぶ類いの「たべもの」ではなかった。

ちなみに苔を食べるというと、NOMAあたりの前衛的な一皿を想像されるかもしれないけれど、私が恋しいのはそういう苔ではない。

もっとその土地に根づいた、脈々と受け継がれてきた知恵の延長線上で、「そっと」いただけたおくりもの。

私にとっての出羽屋の苔は、そんな存在だ。

先月初めに伺ったときは、季節外れでありつけなかったので、この苔熱は次回へ持ち越されている。

ここは能古島。

福岡県の博多湾に浮かぶ、だるまのような形の島である。

この果ての島の窓から、今日も私は海の青を眺めながら、月山の緑を想っている。
文・写真:三浦 史子