私の指先から肘の長さより、少し長いくらいの縦横。
その小さな観音開きの窓から、外の世界を眺めている。
今日は長らく続いた梅雨空が晴れて、テトラポッドの向こうに空の青と海の青が広がり、小窓に切り取られている。
まだ夏の前の、淡い青。
その青の左端から、白い帆の舟がゆっくり――いや、結構な速度で視界を横切っていった。
どうやら今日は、南西の風が強いらしい。
「あ、鳥が飛んだ。あれはカモメか。いや、海鵜か」
そろそろ見慣れてきた景色なのに、いまだに頭の中の私の声は饒舌だ。
そうして私は、この窓の向こうに見える街から、バスと、地下鉄と、飛行機と、新幹線と、車を乗り継いだ先にある「山菜料理・出羽屋」の、非常に私的な好物に思いを馳せる。
その好物は、苔である。
出羽屋で苔を「食べて」以来、好物を聞かれると「苔」と答えるようになってしまい、社会生活が危ぶまれている。
そもそも苔は私にとって、愛でるものではあっても、食べるものではなかった。
もしこの先の人生で食べることがあったとしても、それは何か切羽詰まった非日常の場面であって、少なくとも自ら進んで何度も口に運ぶ類いの「たべもの」ではなかった。
ちなみに苔を食べるというと、NOMAあたりの前衛的な一皿を想像されるかもしれないけれど、私が恋しいのはそういう苔ではない。
もっとその土地に根づいた、脈々と受け継がれてきた知恵の延長線上で、「そっと」いただけたおくりもの。
私にとっての出羽屋の苔は、そんな存在だ。
先月初めに伺ったときは、季節外れでありつけなかったので、この苔熱は次回へ持ち越されている。
ここは能古島。
福岡県の博多湾に浮かぶ、だるまのような形の島である。
この果ての島の窓から、今日も私は海の青を眺めながら、月山の緑を想っている。
その小さな観音開きの窓から、外の世界を眺めている。
今日は長らく続いた梅雨空が晴れて、テトラポッドの向こうに空の青と海の青が広がり、小窓に切り取られている。
まだ夏の前の、淡い青。
その青の左端から、白い帆の舟がゆっくり――いや、結構な速度で視界を横切っていった。
どうやら今日は、南西の風が強いらしい。
「あ、鳥が飛んだ。あれはカモメか。いや、海鵜か」
そろそろ見慣れてきた景色なのに、いまだに頭の中の私の声は饒舌だ。
そうして私は、この窓の向こうに見える街から、バスと、地下鉄と、飛行機と、新幹線と、車を乗り継いだ先にある「山菜料理・出羽屋」の、非常に私的な好物に思いを馳せる。
その好物は、苔である。
出羽屋で苔を「食べて」以来、好物を聞かれると「苔」と答えるようになってしまい、社会生活が危ぶまれている。
そもそも苔は私にとって、愛でるものではあっても、食べるものではなかった。
もしこの先の人生で食べることがあったとしても、それは何か切羽詰まった非日常の場面であって、少なくとも自ら進んで何度も口に運ぶ類いの「たべもの」ではなかった。
ちなみに苔を食べるというと、NOMAあたりの前衛的な一皿を想像されるかもしれないけれど、私が恋しいのはそういう苔ではない。
もっとその土地に根づいた、脈々と受け継がれてきた知恵の延長線上で、「そっと」いただけたおくりもの。
私にとっての出羽屋の苔は、そんな存在だ。
先月初めに伺ったときは、季節外れでありつけなかったので、この苔熱は次回へ持ち越されている。
ここは能古島。
福岡県の博多湾に浮かぶ、だるまのような形の島である。
この果ての島の窓から、今日も私は海の青を眺めながら、月山の緑を想っている。
文・写真:三浦 史子
